スラカルタとチョンボお馴染み。

いじめは大人の社会にもありますが、差別と似ていて、これは人間の実存の根底に食いこんでいる問題なのです。もちろん個々のいじめ、差別というのは解決するための努力をすべきだし、ぜひ解決しなければいけない問題だとは思いますが、しかし、それ自体を社会からなくすことは、不可能に近いでしょう。というのも、切ないことですが、他人を支配することでしか自己の存在理由を確かめられない人もいるのです。たとえば、会社で、必要以上に部下を罵倒(ばとう)し続ける人間がいるとします。一種のいじめでしょう。この人はなぜ、そんなに罵倒したいのか。罵倒される側のケアも大変ですが、罵倒する側のケアのほうが根源的な問題です。ひょっとして、彼も会社や家族からものすごく虐(しいた)げられているのではないか。差別の問題もそうです。たとえば、「血筋」での差別。このときの「血」とはいったいはなぜ悩ましいのかなのか。人間によって流れる血液に違いでもあるのか。血筋というのは、要は正体のはっきりしない、単なる観念でしょう。そうだとすると、その観念を支えている構造のほうが問題なのです。

けれどもそれまでの間は、必要なサポートは外部に求めなければならない。外部の支援によって自分自身のADD観がポジティブなものになればなるほど、ADDに対処するのも、親しい人たちにADDのことを説明するのもうまくなっていくものだ。物理的な援助態勢物理的な援助態勢とは、自力ではなかなかこなせない日々の作業を手伝ってくれる人々のネットワークのことである。態勢を整えるということは、つまり、一人きりでADDに対処しようという考えを改めることを意味する。せっかく診断されても、「これで正体がわかったわ。さあ、それでは家に帰って、もっと一所懸命努力しなくちゃ」と単純に考えてしまう人が少なくない。これまでと同じことを、ただ「もっとがんばって」くり返すだけでは、挫折するのが目に見えている。次々と新しいカレンダーや手帳を試し、違う整理システムを導入する人もいる。

第9章()クリオ(o旨)とはギリシャ神話の中の歴史の女神である。()この新しい経済学説に対する決まった名称はまだない。ブライアン・アーサーは物理学用語を借りて「ポジティブ・フィードバック」と呼んでいる。多くの経済理論家はそれを「戦略的補完性」と呼ぶ方が好ましいとしているが、どうしてそう考えられているかを説明することは、正確を期すためには役立つかもしれないが、この場では必要はないだろう。私自身はポール・デイビッドの「QWERTY」が最も核心をついた表現だと思うので、この章ではそれを使うことにする。(3)こう言ってしまうのは経済学のいくつかの分野に対してはフェアではないかもしれない。一九六五年以後急に使われなくなったが、初期の経済発展モデルでは収穫逓増や外部経済が主要な役割を果していたし、都市経済学では必要に迫られて、これらの要素に焦点を当ててきた。

ひとつの共同社会が人民となることもあれば、少数民族となることもあるだろう。しかし、その両方ではあり得ないのである。非植民地化さて、人権という非常に広範にわたる話題から、次に、植民地主義という特定の問題に目を向けてみよう。コロニー(8一○三)という語は、「耕す」を意味するラテン語に由来しており、元来は人々が植民した土地ではなく、人々自体を指した。この単語のそのような用法は、たとえば、「ロンドンのギリシャ人街(夢の⑦『異の○一○三言PC且。ご)」、「ヌーディスト村(四口目酉8一○二)」、「アリの群棲(8一○皇o言三m)」のような表現に残っている。現代政治の世界では、コロニーとは、通常、外国人が移住して直接あるいは間接に支配する領土とゑなされている。もちろん、隣接地域に入り込んだ後、そこを併合することによって国境線を拡張することもあるだろう